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土橋:まず最初に、お二方の今やってる演出があると思うんですよ、演出のやり方が。それをまあ語っていただいて何故そういうふうになったかを今日書いてきてもらったレジメをもとに話していただきたいと思います。じゃあ奥野さんから。
奥野:そうですね、今ちょうど現場持ってるのが劇団(→水の会)の公演の稽古なんです。作家も兼ねているので、「このリズムを想定して書きました」というのをまず役者に伝えますね。で、そのリズムを役者と演出家で共有していきます。で、その上で、じゃあこの人のそのときの感情に揺れ動きってのはどういうものなのであろうかとか、その間に果
たして何が出来るのであろうかを考えます。まずリズム重視ですね。
土橋:リズム重視っていうのは、どのへんのことがきっかけでこれがいいんかなと?
奥野:初めて演出した時に漠然と「このリズムがいいな」と、少し速いリズムがいいなと思ってたんですね。確信的になったのは1999年にMONOの土田さんと一緒にハイスクールプロデュースってのをさせてもらった時。「観客は役者の息を後追いするもんなんだ」と言ってらっしゃたんです。役者が息を止めたら観客も息を止める。その時に緊張状態や弛緩状態ってのができて笑いってものが生まれてくるって。その為に少し早いリズムが必要になってくるんだと。自分の中で漠然としてた時にそういう言葉がぐっと入り込んできたんで、旗揚げした時にはそういうことをかなり意識して演出しましたね。で、今に至るって感じです。
土橋:実は僕も土田さんのワークショップ、火曜講座に結構出てて。
上原:京都でやってるやつ?京都に通ってたん!?
土橋:通っててん。
上原:学生の頃に?やるなー。
土橋:始めて行ったんが土田さんのやつで、すごく具体的で驚きましたね。漠然とした話だけの演出ってのはあまり好きじゃないんですね。気持ちがこもってないとか、なりきれてないとか、そういうことに関して半分くらい懐疑的になってて、で、たまたま土田さんのワークショップ行った時に、これはある意味一つの具体性を持ってると思ったんですよ。けっこうハマりましたね。
奥野:僕もそうなんです。学生劇団の仲間内ばっかりでやってるからみんなわからへんわからへんっていう状態で。役者対役者の付き合いでしかないんですね。だからここからここまでの気持ちがのってないとかそういう演出になっちゃってね。でも、アイホール演劇ファクトリーで劇団太陽族の岩崎正裕さんの演出も受けることができて。岩崎さんも土田さんも演出対役者っていう関わりの中で指示がものすごく具体性を帯びてるんです。
土橋:上原さんは学校とかで土田さんとかとは?
上原:いや、全然。
土橋:じゃ去年の8月に初めて役者(上原さん)と演出(土橋)としてやった時にさ、俺が「間と呼吸」的な演出をした時どう思った?
上原:一応、鈴江さんの演出は一回やってるんで。
土橋:鈴江さんも使ってた?
上原:そうそうそう、鈴江さんと一回ね一緒にやったことがあるから大体わかる、言うことが。後はリズムという感じやから。それについて行こうと一応思うやんか、呼ばれてるし初めてやし。
土橋:僕の場合はね、ピスタチオが好きやったんですよ。高校生の頃。で、大学入ったら演劇やろうかなって思ってて演劇部に入ったんですよ。きっかけになったんが僕等の先輩が鈴江さんの「ともだちが来た」を上演してそれをを手伝った時ですね。こんなんも有りなんやってふうに思ったんですよ。その時に僕の演劇ってものの枠みたいながガッと広がりましたね。奥野さんは学生の頃はどういう芝居をやってらしたんですか?最初からMONOが好きだったんですか?
奥野:じゃないですね。僕が一番最初に演出したのが万歳の内藤さんの「夏休み」で。学生劇団での初舞台が同じく内藤さんの「20世紀の退屈男」なんですね。それが僕が初めて知った芝居なんでそのあたりを志向してたんです。自分の中で学生劇団の間に「これぞ芝居だ」っていう枠組みみたいなのができてくるじゃないですか。で、「20世紀の退屈男」を演出した先輩が199Q太陽族(現・劇団太陽族)に入ったんですね。で、見に行ったらいわゆる会話劇で、しかも関西弁を使ってると。これはしてはいけない、って暗黙のうちに思っていた枠組みが崩れたんですね。それは物凄い衝撃やって。ちょうどその岩崎さんがファクトリーをやるからそこに応募してみようかっていう流れなんですよ。そのあたりから自分の興味がいわゆる会話劇の方に行って。あと、どうしても例えば内藤さんの本とか書けないっていうところから出発ですね。普段の会話で笑いがあったりとか感動であったりとか、なんかそういう表現が出来ないだろうかっと思ってますね。
土橋:上原さんは学生の頃はどんな感じでした?演劇は高校からやってたん?
上原:うん、高校から。
土橋:上原さんの今の、演出としてこういうことやりたいとかやってるみたいなこととなぜそこにきたかっていうのを。
上原:うちの劇団は脚本が別にいるから。とりあえず出てきたものを見せてもらって、キャストを思い浮かべて駒みたな感じに動かしてみて、大体のニュアンスを稽古場に持って行って、とりあえずやってもらって、で「俺はこういうのが見たい」っていうのと、そっからみたものと役者が出してきたもので「次はこうしてみて」「次はこうしてみて」っていう、見たいものプラスその稽古場の瞬間の思い付きとかをどう舞台にするか。とりあえず完成形は持っていかない。あとノリっていうのもあるし。
土橋:ノリ好きですよね。
上原:うん。面白かったらええやんって思うねん、その瞬間。それを本番まで持続させられるかどうか。面
白くなかったら途中でカットしたらええ話やし、これが面白いと思ったらどんどんやったら良いと思う。そこから見えるものってあると思うから。
土橋:それ難しいですね。俺はすぐ自信が無くなるから。ホンマにオモロいんかなって。
上原:いや思うで!思う思う。思うけど。
土橋:「誰か、ちょっと、止めて」みたいなんありますよね。
上原:でも飽きたりはする。「もうええ、もうそれやめ!」っていう。俺はノリっていうのは結構重要やなと思う。
土橋:そういうスタイルになったのは何かきっかけとかあったんですか?高校の時から?
上原:高校の時はガチガチやった。一人だけたまたま芝居とか見てて高校生で演劇部入って、三谷幸喜を最初に見てすごい衝撃を受けて。「ショウマストゴーオン」やったかな。テレビで見て。「こんな舞台って面
白いんや」「舞台裏ってホンマ面白いんや」って思って始めたんが運の尽きやったな(笑)。そんなわけあるかい!でも、「俺はこれじゃなきゃ面
白くないんだ!」っていうのを高校の時は押し付けてて。それが月曜劇団入ってからもあったんちゃうかな、2回目ぐらいまで。
土橋:その押し付ける、ガチガチにいくのもまあ言ったら自分が見たいものを考えてそれを完璧に舞台化すると。
上原:そうそうそうそう。そうすると、役者はその役者じゃなくてええんじゃないかって思うねん。ちょっともったいないなって、役者っていう存在がもったいないなっと思って。だったら映像とか一人芝居やれって話になるから。全部自分で仕切ってやれってなるから。そうじゃなくて目の前にいる人を基にこれをどう料理するか、台本を通
してどういう人に見せていくかっていう作り方にどんどんなっていって。それが成長かな。ええのかどうかわからんけど。
土橋:僕も昔はそこに立ってこういうふうにしゃべってとか、この時は動かない、この時は右手を動かすとか、そういうかなり細かいところまでダメ出ししてたんですけど、でも最近は違うんじゃないかなって思ってるんですよ。で、この間「MissingLinkの謎を追え!」の時に鈴江さんが見に来られて。
上原:KAVCチャレンジシアターな。
土橋:そうそう。アフタートークで「今までで一番良くない」って言われて。「演出について何が良くないかって言うと、役者がゆるく斜めに立っている。昔の土橋君の芝居では役者は斜めに立ってなかった。以前は土橋君が役者にこうでなけりゃ駄
目なんだみたいな明確な指示を出しているのが見ててわかったのに、今回は演出に妥協が入ってるんじゃないか」みたいな言われ方してちょっとへこみましたね(笑)。
上原:もうコテンパンでしたからね、鈴江さんに。
土橋:なるほどな〜と思いながらも、でも僕はやっぱり芝居を通して何かしらの自由を求めたいから。臭いセリフやけど(笑)、だから役者を抑圧するのに矛盾を感じるねんな。
上原:でもエゴを衝突させないと面白くないもん。ええもん出来ひんと思うねん。悪くなるかもしれへんけど。俺はこういうもんが見たいんだって言ったうえで役者がそれに乗ってくるかどうかやん。乗ってきたらんじゃ闘わせようやって感じで。
土橋:僕もほったらかしが自由とは思わんねんけど。難しいところやね。
上原:難しいな〜。
奥野:僕はね、結構ねカチカチッとね決めるんですよ。
上原:あ、決めるんですか?
奥野:こう動いてくれとか、何してくれとか。ていうのは、逆に役者っていらんことしーやと自分も役者やってて思うので。例えば、ここで上手向いて下手に視線をやって何か取るっていう2秒ぐらいの動きでもこの2秒のこのコンマ何秒か演出家が差し挟めない時間ができてその時に何かするんですね、役者って。だから枷を与えて逆に役者と演出が更に高みに行けんじゃないかっていうのはちょっと僕信じてるんで。だから決めるところは結構決めますね。自由にっていうふうになると演出の目が入ってないって思われるのが嫌な気がして結構決めます僕は。ガチガチっ、ガチガチっと。
土橋:決められた中で演出に立ち向かってくる勢いみたいなんが要りますよね、役者には。
奥野:そうそうそう。
土橋:そこでこう闘ってその時のホンマに良いものが出来るんちゃうかと思いますね。
奥野:言われたことやってるやん!っていう言われ方をすると演出家は、
上原:むかつきますよね(笑)。
奥野:じゃなくて、確かに言ったと。確かに決めたと。その中であんたはどういう表現をするねんや?っていうのを役者に求めたいですよね。その中で向かってくる人には、おお、じゃこうしようと。高いところに一歩踏み出せるんじゃないかと。
上原:どこまで言っていいのかわからへん時やん。
土橋:え?
上原:これ以上踏み込んでええのか。言っていいのか。相手はどう考えるのかって思う。で、言い過ぎてよその芝居見ててたまに演出家の顔が浮かび上がる時があるねんな、お客さんとしてどっかの芝居見に行った時に。ガチガチのところ。これはええんやろか、居心地悪いな〜。ハマったら絶対面
白いはずやねんけど。違和感があるから少し隙間を与える。自由っていうんかな。見せたいんやけど役者が好きにやってもいいんじゃないかな。許せる程度ならね、許容範囲の中で。自分が演出として責任取れる程度ならいいって思うねん。別
になにやってもええよっていうホンマの自由じゃなくて。これとこれをこなしてくれたらこっちは満足しますから、それはこなしてほしい。
土橋:ポイントポイントを抑えてくれたらあとは好きにしてええわけやんな。それが伝わる時と伝わらん時があるから難しいんやけど。
上原:どうしても役者はそれをつなげようとするやんか。それと前のセリフをどうつなげるとかさ。それも任せるから。
土橋:僕が一番最近見たやつ(月曜劇団の芝居)って何やったっけ?
上原:「The Burntunber」?
土橋:あれは全部アドリブで作ったん?
上原:あれは脚本を劇団員だけで作ってん。
土橋:劇団員で?
上原:(劇団員で)先に作って、こういうキャスティングやったら面白いんちゃうっていうのがあって、役者を呼んで、来てもらって、で、やってもらう。一応、総合的な仕切りが俺とういことになってて。
土橋:え、それは演技しながらこう脚本を作ったんじゃなくて最初にみんなで集まって脚本を書いた上で演技してる?
上原:そうそう。だから、メリットとしては劇団員にはとりあえずここでこういうことがやりたいんだっていうのがわかるわけやんか。
土橋:そういうことを全然したことがないから、どうやったんかなと正直聞きたいんやけど、演出としては。
上原:演出も楽やねん。全部見えてるわけやんか。絶対的に。作ってる段階から見えてるから。とりあえず脚本を二次元の世界から三次元に持ってくる時に動きがあったらいいなっていう遊びの部分をいろいろ作ったりして。
土橋:俺が思ったんは、それはカチッとする方向じゃなくてフリーな方に向かっていってると思うねんな。ノリが全でその瞬間の面
白さを追及していった芝居やと思うんやけど。僕はなんかね、前衛な芝居やと思った。
上原:何を言うとるねん(笑)。
土橋:見ててすごい前衛的なことしてるなって思ったんやけど。普通は脚本があって演出があって役者があるってちゃんと分かれてるところが入り混じってるってことは、それまでの方法みたいなもんを壊していこうっていう方向に向かってるんちゃうかなって思うんやけど。
上原:今はたまたまな。
土橋:今までやってた公演とは違うわけやろ。
上原:違う違う違う。
土橋:なんで急にそうなったんか不思議やねんな。
上原:うちな、なんでも会議する。何かあったらすぐ話し合い、劇団員で。
土橋:話し合いの流れで次はみんなで書こうと?
上原:そうそうそう。
土橋:それは何でなん?
上原:「The Burntunber」の前回の公演で新しい子が入ってきてくれてん。その新人の子に僕は興味があって、この人はどういうものが面
白いんだろう、絵をやってて考え方もちょっと違うらしいねん。違うねんどう考えてもどう見ても。でこの人はどういうものが面
白いんだろうって思って、じゃ話し合いから始めてみようと。それを舞台にのせてこんな展開になったら面
白いんちゃうっていうのを付け加えて、こんな月曜劇団面白いな、これが月曜劇団の面
白いところちゃうんっていうのを形にした舞台。言うたら究極の身内ウケを狙ってるのかもしれないし。
土橋:僕らもみんなで脚本書くとか1回やってみたいと思ってるんですけど、実際そういうことやってる劇団ってあるよな。
上原:転球(転球劇場)とかそうやし青い鳥とか。
奥野:昔の遊機械◎全自動シアターとかそうらしいですね。
土橋:演出の話からそれますけど。奥野さんはそういうことやってみたいと一切思わない?
奥野:一切思わないわけじゃなくて、それは一作家としてそれをしてしまうとなんか自分の責任逃れじゃないかなっていう気持ちがどこかしらにあるんですよ。いざそれをやって下手うったら癪にさわるし、自分の普段の作品より面
白くなっても癪にさわるから。実験公演として番外的にやるのは楽しいかもしれないけども。
上原:本公演とかになるとねえ。
奥野:ダメとかじゃなくてそれを良しとしてしまうと自分に良くないんじゃないかなと思ってしまう。みんなに頼ってしまうという甘えが出てしまう。
土橋:演出はね1人じゃないとあかん気がするんですよ、逆にね。何でやろな?
上原:1人じゃないと纏まらへんやろ?
土橋:そうやね。だから脚本ってね最終的には大したもんじゃないんじゃないかって思う時もあるんですよ。基にはなると思うんですけど。実際に1人の人間が考えてることなんて大したことじゃないと僕は思ってるんですよ。芝居はお客さんを含めてたくさんの人間が関わる中で広がっていくものやと思うんで。最近はその広げていく過程としての稽古という場が重要かなと思うんですよ。
上原:稽古場が暗かったら嫌やもん。俺は。それが最大に怖い。
奥野:劇団作ってからやったら、例えば僕はこういう照明が欲しかったのに何かうまく話が伝わらんかったと、それをじゃ深津さんはどうクリアーにしてはるんかな、とかそういう見方をさせてもらったりします。けど僕が劇団を作る前に出会った土田さんと岩崎さんの影響っていうのはやっぱり大きいですよね。良い悪いじゃなくて土田さんてやっぱり役者なんですね。岩崎さんってのは役者じゃないってところから演出が始まってるんで。高校生の演出をするのにつかせてもらったんですけど、最終的にこんだけ言葉を費やして費やして費やしてもこの人に通
じないってのがわかったら、土田さんはやっぱり役者ですから「こうやって」って自分の身体で示すんです。それを見て相手はああなるほどじゃそうすればいいんですねっというところに出てくるんです。岩崎さんはそれでもダメやとなった時にこうやってとは実演しない。逆に役者が聞くんですね、どうやったらいいんですかって聞くんですけど、それはあなたは役者でしょ? 考えて下さい、私も出来るだけあなたと対話をして最終的な表現には行きつこうとは思いますが、っていうところなんですね。そこが面
白かったですね、極論すればですけど。
土橋:なるほどな。どっちやろな、俺。
上原:でも突き放されたら怖いで。
土橋:怖いよ絶対。結局他者やからってことになるんかな。
俺とおまえは別々の人間やからってところに立ってるなって思うんですよ。
奥野:やろうと思えば出来るんですよ、岩崎さんも。
土橋:そこになんかこだわる感じがあるんかな。たまにやったりしますからね、僕はどうしても。
奥野:これでこうやってと。ここでこうこうと(笑)。
上原:俺そんなんしょっちゅうやん!すぐ演出席から立って出てきてちゃちゃちゃっちゃってこんな感じって(笑)。すぐ言ってまうからな。役者出身やからな。
奥野:ちゃうねんちゃうねんって思うところをいかに待つかっていうのも演出に必要なところだとも思うんですよね。
土橋:ぶっちゃけ、役者と演出どっちが面白いですか?
上原:役者!
奥野:自分が使ってる頭とか使ってる身体が違うのでどっちって言えないですよね。
上原:じゃどこが一番わがままやと思います?脚本と演出と役者で。自分で一番融通
のきくところ。
土橋:自分がってこと?
上原:作・演出・出演って全部やってるから。
土橋:全部やってるもんな。それってすごいですよね。
上原:すみわけも出来てる。
奥野:本が一番自分の能力で足りないと思ってるからそこは一番時間かけたり悶えたりしますね。役者が出来てるとか演出が出来てるとかってわけじゃないんですけど。本が一番自分を出すところやっていうふうにあえて思うようにしてます。
上原:土橋君は脚本と演出どっちに重点を置いてる?
土橋:旗揚げの時はすごく演出がいややったんですよ。ホンマに。「今日も役者を抑圧しに稽古場に行くのか、いややな」って、鬱に入るくらいな(笑)。
上原:決めつけて行ってるやろ、今日いじめるやつ。
土橋:演劇は役者の身体があってなんぼやと思うんですよ。で、演出はその次に大事。最近は作る現場を重視してて、演出してる方が楽しい。嫌やった時の反動かなと。演出は作家にホンマは気を使ったらあかんと思うんですよ。作家の考えるものとは違うけどオモロいものを作るのが僕が今考える良い演出であって、自分で演出しながら作としての自分の意向を反映した演出をつけるっていうのはある意味演出的妥協じゃないかなって気がしますね。
上原:そうなんちゃうの?脚本と演出やってる人は。演出だけやってる人は作品で勝負せなあかんと思うけど。
奥野:今年の初めにさせてもらった坂本チラノさんの「パドドゥ」っていうのは80年代の演劇で僕らがやってるのとは全然違う話ですね。もともと新感線に所属してはった方なのでそのようないわゆる80年って言われて思い浮かぶような台本なんですね。それを選ばせてもらってやったんです。(当時)こう上演されたであろうところにあえて向かっていったんですよ、僕らは。普段やってることと違うことをやりたかったから。この間6月にさせてもらった私塾(想流私塾)の卒業公演のやつは違うことをやろうといろいろ試してみたんですけど、結局本に添うのが一番しっくり来たなって思って。結局いかに本に沿わせるかって演出になったので、その時々ですよね、僕の場合は。
土橋:学生の時にね、永井愛さんの脚本をやったことがあるんですけど、それを土田さんのテイストをとり入れてやったこともありますね。間と呼吸を活用してめちゃめちゃテンポ良く。けっこう面
白くなりましたけど。
奥野:台本に沿って台本の良さをいかに引き出すかっていうのが目標ですね。まだ修行時代ですから。第1回OMSプロデュースの時に松田さんの本を竹内銃一郎さんが演出した時に一切セリフを変えてないのに時空劇場とは全く違う芝居になったって例があったり、「月の岬」は同じく松田さんの本を平田オリザさんが演出しましたと。あんだけ切って貼っていろいろ変えたにもかかわらず松田さんが自分でやってた時のような劇世界が立ち上がったと。いつかそういう作業はどなたかとしたいんですよ。その為にも今僕は沿わなければいけない気がするんですね。
土橋:僕は絶対演出っていうのは脚本家と別におったら脚本家からムカつかれるもんやと思うんですよ。ムカつかれて当たり前ちゃうなんかなって思うんです。そこで衝突がないとおる意味がない気がしますね。何か言われません?作から。
上原:作からは言われへんな。書いたらもうほったらかしやで。
土橋:マジで!
上原:うん、うちの作家。
土橋:それは凄いな!
上原:うん。(自分で書いた)セリフまで忘れてるからな。まるで新しい作品を読むかのように読むねん。「お前書いたんちゃうんか」「いや書いたんやけど」って言われるねん。
土橋:あるべき姿やな。
奥野:それはいいですね。
上原:だから任せてもらってるんかもしれへんねんけど。でも恥ずかしいセリフって絶対あるんですよ。これちょっとカットしてくれへんって言ったらそこだけは譲れへんとか急に作家の顔が出て来たり。それはダメですって言われるから。じゃ俺が恥ずかしくないようにどう見せようかってようにシフトチェンジする。
土橋:そこにいるからな、脚本家がな。おらんかったら関係なくいくんやけど。
上原:おらんかったらこそっと電話するかもしれん(笑)。どうしたらいいですかって。
(10分間の小休憩)
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